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人類の新しいステージ [日記]



先日、東北大震災、津波被害で生死を分けたその運命、または宿命の別れ目について
話題にしましたが、そのことはすでに決められていた、という考え方があります。


運命が変えられないというわけではなく、あるいは死の間際にどのようにもがいても
救われなかった、助からなかったということではなく、すでにそれぞれが生まれてきたときに
生き残る者と死に行く者がそれぞれに決められていたというわけです。


釈然としないと以前の記事でも申し上げましたが、この考え方をもって腑に落ちるという
わけではありません。

私は『宇宙のしくみ』を知るために、今では求道的とはいえませんし、死んでみなければ
この世に生まれる前のことを思い出せないという前提で限定することはやめています。

生きているうちに腑に落ちるほどに納得することがあるならば、その時期がやがて自然に
来るのだろうとも思っています。

ですから、思考停止にはならない程度に考えてみるという努力を続け、新たに知れることが
あるならば、そのきっかけだけは見失わないようにしています。


また、東北に限らず、近頃多発する自然災害は地球規模の警鐘であるともいわれていますし
近いうちに起るだろう人類としての新たなステージへの転換期に起こる物事に準備を促す
過程のひとつであるとも言われています。

その転換期にはまさしく大規模な選別が行われ、新しい地球、次元が始まるということです。


では、その、まるで『ノアの方舟』を彷彿とさせるような話に、生き残る側が幸せかといえば
そこにも逆説的な考え方があるのです。


つまり、死んでいく者がネガディブに淘汰される側であるとは限らないということです。


現世、この世での死は、私たちにとって通常は『終わり』であり、悲しむべきことと認識します。
死を考えるだけでそこには恐怖がありますし、生きている者との永遠の別れを意味します。


『地獄はあの世にあるというが、実はこの世こそが地獄なのかもしれない』


誰かが表したこのフレーズをつい思い出してしまいますが、死が終わりではなく、始まり、
または私たち個体の転換の時期に過ぎないとすれば、死んでいく者が不幸であるとは
限らないということです。


『LOST』の最終回でも、そんなことを意味するようなシーンで締めくくられましたね。
ここ最近、そういったメッセージが込められた洋画や作品が増えてきました。


この世に残された者の不幸、その衝撃的な体験から生き残った自分に何らかの使命を
果たそうとする人達。

あるいは忘却と無関心のうちに平常を取り戻す人々。


すでに死んでいった者が不幸とは限らないという考え方は亡くした家族を想う時に
慰めとしては確かにとても有効ではあります。

しかしながら、自殺は許されないものであるとしても、この宇宙が私たちの想像を絶する
奇想天外なものであるとするならば、


釈然としないこの感覚も、いつの日かどんでん返しのオチがつく予感ととらえることも
できないではありません。











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