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東北大震災復興支援ボランティア [日記]



昨晩遅く、宮城県から戻りました。


民間のツアー会社が主催するバスツアーに参加ということで、静岡から乗車し
夜行での車中泊で現地に向かいました。



朝6時に高速道路サービスエリアで身支度を済ませ、まずは仙台市と名取市の被災地を視察へ。

復興の実際をこの目で確かめ、気構えを作ることから始まりました。



津波で何もかもさらわれて、その瓦礫もなくなり、今では個人の敷地をかろうじて判別できる
住宅の基礎。そしてそれを覆う雑草。

住宅地の脇には、まるで何もなかったように背を伸ばす広大な田んぼの緑一色の稲の穂波。

1階部分が津波で破壊されかろうじて残った家屋がポツポツと残っていて、修復されないまま
放置されることで、津波被害の傷跡を今も当時のままに訴え続けていました。



一方で、市内中心地に近くなるほどに、再開発され見違えるようになった新興住宅地、
新築マンション、そしてOPENしてほどないメガショッピングモール、ホームセンター等々の
どことなくやましそうに、そして同時に誇らかに見えるその有様が
復興の現在のギャップをまさに象徴しているように私の目には映りました。


文字通り町のすべてがなくなった名取市閖上(ゆりあげ)地区を更に目の当たりにし、
被災の実際を生の声で届け続ける現地ボランテイアの語り部の話を聞きながら、
神の存在について、あるいは神と呼ばれるその存在の所業について考えさせられ、
あるいはあまりにも残酷なこの世の矛盾、運命の分かれ道と、
その明確過ぎる選択の結果を肌で感じたように思います。


ボランティア活動の実際を第三者に詳しく伝えることは、このブログの私の主題ではないため
少なくとも今回は割愛しますが、
仮設住宅での夏祭り、納涼祭という小さなイベントをもって何かを変えるために機能することは
ないにせよ、少なくともその活動や行動の意義はあると今は思っています。


今もなお、被災地や仮設住宅での自殺者の発生は減らないと聞きました。
たとえ、一瞬であっても、今も続くつらい現実や、喪失感を少しでも忘れることができ、
その日常にひとつでも多く笑顔を作れるなら、遠く離れた無関係の地方から赤の他人が
現地に訪れることにも確かな意味があると感じました。


よいボランティアツアーに参加できたと思います。


今回、私がそこにいたところで、あるいはいなかったとしても何ら影響があったわけでは
ないでしょう。

少なくとも、この私に行動できる機会と、ささやかであっても貢献できる機会を与えていただいた
ツアーの主催者と、同志として迎えていただいた
ボランティア常連の皆様に心から感謝しています。



災害の現場にかけつけた当時の災害救助関係者、ボランティア活動はたいへんな苦労と
痛みを伴うものだっただろうと想像します。

また一方で、災害後の復興支援の「心のケア」や雑作業にも、尊い意志や愛があると知りました。


少なくともそこには「偽善」はかけらもありませんでした。


名もなく、気負うことなく、自然体で行動するその現場には「天使」がいると私は思います。





















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